マルコによる福音書1:12~15
「荒れ野の誘惑」
香園教会の皆さまと共に礼拝を守ることができることを感謝いたします。わたしが仕える神戸イエス団教会は、賀川豊彦が貧しい人々と共に生きる決心をして始めた教会です。賀川にとって神戸での経験が信仰の原点となったように、わたしたちにも神と出会う原点をこの受難節と重ねて考えてみたいと思います。
本日のマルコ福音書では、イエスが荒れ野で誘惑を受けられたことが記されていますが、マタイやルカの記事のような誘惑の詳細な内容はなく、「野獣と共におられ、天使たちが仕えていた」と簡単に伝えています。ユダヤ教の時代から、野獣は終末の平和のしるしであり、荒れ野は神不在の場所ではなく神の救いが始まる場所でした。その「荒野」でイエスは誘惑を受けられたのです。孤独で苦しい経験ではなく、神の守りの中におられたのです。
わたしたちもまた受難節に、イエスのような誘惑に出会う機会を克己の時としたいと思います。誰もが、老いや病、不安といった「現代の荒れ野」を経験します。また、何かを絶つという決意をすることも意味がありますが、この期節を苦しむためではなく、神と向き合い、関係を新しくするための時間とするもの良いでしょう。そこは神が共におられ、新しい命を始められる場所でもあるからです。
荒れ野を経て、イエスはガリラヤの名もない人々に神の国を宜べ伝えられました。神の栄光は特別な場所ではなく、日常の中に現れるのです。この受難節、主が共におられることを信じ、神と新しく出会う時として歩んでまいりましょう。
神戸イエス団教会 牧師 : 上内鏡子