「神の時は誰にでも必ず来る」
創世記45:1~15
使徒言行録23:23~35
神の導きを信じて生きていると、必ず気づきと確信が与えられる「神の時」が訪れます。自分の人生の不条理に思えた出来事が、神が備えておられた出来事として感じる時です。その時、私たちは自分の人生の本当の意味と目的を悟る中で、神に感謝をすることになります。
旧約聖書の創世記には、この神の時を忍耐して待てなかったアブラハムの妻「サラ」と、それを忍耐して待ったアブラハムの曾孫の「ヨセフ」とが対象的に描かれています。サラには神の時を待つ忍耐心がなく、彼女は神の前を歩いてしまいました。だから、神が計画しておられることを、自分が先回りをして妨害してしまうことになりました。それに対して、ヨセフは神と共に歩み、逆境の中でも常に神を讃えて約束の時を待つことができました。
そのきっかけは、彼が兄たちの手で奴隷として売られた出来事でした。しかし神の目から見ると予定されていたことでもありました。その後、ヨセフは忍耐を持って神に信頼し続け、神の時の訪れを体験することができました。そして、使徒言行録の中で描かれているパウロも、神に信頼して逆境を歩んだからこそ、神の計画が彼の上に成就していきました。
私たちは逆境を進む先に、必ず神の計画が自分の人生に成就していくことを聖書から学んでいきましょう。予期せぬ出来事が起こり、複雑になっていくのが私たちの人生です。しかし神の目からはすべてが予定されていた範囲の内なのです。
それを知って、神の御心通りにすべてが進んでいっていると思うと平安が与えられます。自分が確実に次のステージに導かれていることを信じて、これからも見えるところではなく、信仰によって歩んで行きましょう。
牧師 : 宮本幸男