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説教要約2026/03/15「理解を超えたもの」

「理解を超えたもの」

マルコによる福音書:2 10 

 

大学卒業という節目を迎え、この6年間を振り返ると、コロナ禍や病気など、決して平坦でない、右往左往した道を歩んできました。「君がここまで来られたのは奇跡」と言われたように、神様の導きに守られてきたように思います。うち2年間をこの教会で過ごすことができたことは本当に感謝しています。場所や教会は違いますが、これからも、日本基督教団という一つの公同の教会で、共に礼拝を献げていきたいと思います。

 

かつて、私の恩師は、「二人または三人が私の名において集まるところには、私もその中にいるのです」「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」といった聖書の御言葉をもって、私たちが神様の力によって、共にあることを教えてくださいました。地上の全ての教会、また天上の教会が、一つの教会として結ばれていることを、信じたいと思います。

 

今日の聖書の場面は、イエスの姿が白く輝き、モーセとエリヤが現れた「山上の変容」と呼ばれる場面です。この時、天からの声は、イエスが単なる偉人ではなく、神の子であることを示しました。弟子たちは、この事態を飲みこめず、的外れな提案をしますが、大切なのは、理解できないながらも、イエスについていったという事実ではないかと思います。

 

私たちは、神の御心を完全に理解することはできません。時には、見当違いな方向に進んでいるように感じることもあります。自分の目線からは、右へ左へと曲がりくねった、迷走しているような道。しかし、遠く神様の目線からは、その試行錯誤こそが目的地へと続く、一つの真っ直ぐな道に見えるのです。自らの歩みを曲がっていると否定せず、神様が真っ直ぐだと肯定してくださる慈しみに信頼して歩みたいと思います。

神学生 : 坂本子龍

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