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「母の日に思う」

母の日に思うこと

 母の日の起源を紐解くと、1907年5月12日の日曜日に遡ります。当時アメリカのペンシルベニア州フィラデルフィアに住んでいたアンナ・ジャービスが、亡き母を追悼するため、教会で母が愛した白いカーネーションを祭壇に飾ったことが始まりでした。

 

 母のアンは教会の教師を務めていた人物です。娘のアンナは記念会で、母から教わった十戒の「あなたの父と母を敬え」を引用して挨拶をしました。出席した人々は、アンナの母への深い敬愛と、母の信仰が娘に受け継がれている姿に胸を打たれたといいます。翌1908年5月10日にも同教会に多くの親子が集まり、アンナは参加者に白いカーネーションを手渡しました。この活動に百貨店王のジョン・ワナメーカーが賛同して店舗でカーネーションを配ったことから、運動は全土へ波及。1914年、ウッドロー・ウィルソン大統領により、5月の第2日曜日が正式に「母の日」と制定されました。

 

 日本へは明治末期から大正にかけてキリスト教関係者を通じて伝わりましたが、全国的な行事として定着させたのは菓子メーカーの森永製菓の影響が大きいと言われています。1937年に開催された「第1回森永・母の日大会」をきっかけに普及が加速し、戦後、5月の第2日曜日は祝祭日ではありませんが、国民的な記念日として認知されていきました。

 

 興味深いのは、提唱者のアンナ自身が、普及に伴う「商業主義」に強く反対していた点です。祝日化によって花屋や菓子メーカーが商機を競うようになると、彼女はそれを「母の日」の本質を歪めるものだと感じました。彼女が理想としたのは、母を訪ねること、あるいは手書きの手紙を送ることでした。高価なギフトやカードを贈ることは、真の愛の表現から遠ざかる行為だと考えたのです。「愛は自分の利益を求めない」という聖書の言葉にあるように、彼女は純粋な愛の形が変質することを危惧したのかもしれません。

私は、こうした経済活動は社会の成長においてプラスの効果があると考えますが、アンナの抱いた「精神性」へのこだわりもまた、大切な示唆を含んでいると感じます。

 

 アンナが提唱した「母の日」は、今や宗教や国境を越えて世界中に広がっています。2026年5月10日、今年の母の日には、天上のアンナ・ジャービスと亡き母を偲びつつ、一輪のカーネーションを手に墓前へ捧げたいと思います。

M.F

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