· 

説教要約2026/5/3「大切なものは目に見えない」

「大切なものは目に見えない」

列王記下6:15~23

使徒言行録25 :1~12

 

 私たちは日々「二つの目」をもって生きています。一つは肉の目、もう一つは心の目です。肉の目は、形あるものや外見を見ることができる目です。しかし、心の目は、神様の「御心」「愛」「恵み」などのような「目には見えない大切なもの」を見つめる目です。どちらも大切な目ですが、私たちが生きる上で、本当に必要なものは心の目でこそ見えてきます。

 

 本日の御言葉に登場する使徒パウロは、心の目で物事を見るような生き方を示した人でした。彼は不当な扱いを受け、長きに渡って苦しい状況に置かれながらも、人の評価ではなく、神様の御心に従って歩み続けました。その結果、思いもよらない形でローマへと導かれ、福音を伝える道が開かれていきました。たとえ状況が自分の願い通りでなくても、神様はそれを用いて最善へと導いてくださるのです。

 

 一方で、総督フェストスの姿は、私たちへの問いかけでもあります。彼は人の顔色をうかがい、自分の信念よりも周囲の評価を優先しました。その姿は、私たちが知らず知らずのうちに陥ってしまう生き方ではないでしょうか。人にどう見られるかを気にするあまり、本来の自分を見失ってしまうことが誰にでもあります。

また、そのような姿は、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』に出て来る「カオナシ」のようなものです。監督は「カオナシとは一体何者なのでしょうか」と聞かれた時に『カオナシなんて周りにいっぱいいますよ。ああいう誰かとくっつきたいけど自分がないっていう人、どこにでもいると思いますけどね』と答えたそうです。つまり、気を付けなければ私たちもカオナシのような「自分がない生き方」をしてしまうということなのでしょう。

 

 自分を持たず、他人に合わせ続けると、心は次第に空しくなっていき、終いに自分で自分をコントロールできなくなっていきます。しかし、私たちに愛の目を注いでいる神様と向き合い、自分自身を取り戻すとき、私たちは自分の居場所を見いだすことができるのです。

牧師 : 宮本幸男

HOME