私たちが生きている世界に存在する物質を構成する単位は何でしょう。分子でしょうか。でも、分子は原子に分割できます。原子も原子核と電子に分割できます。電子はそれ以上分割できませんが、原子核は陽子、中性子、中間子などにさらに分割できます。この、電子、陽子、中性子、中間子、そして光の粒である光子などの素粒子をまとめて量子と呼びます。
量子は不思議な性質を持ちます。素粒子だから粒子(つぶ)なのですが、同時に波なのです。粒子性と波動性を共に持つモノ、それが量子です。詳しく説明すると、かえって混乱するような話になるので、量子は粒であり同時に波だ、と素朴に考えて下さい。
量子には、もう一つ不思議な、というか不可解な性質があります。一つの量子のある時点における位置とエネルギーを同時に観測することが出来ないのです。例えば、野球のボールなら、ある時点の位置とエネルギーは容易に観測できます。ピストルの弾でも可能です。でも、量子については不可能なのです。もう少し丁寧に言うと、次のようになります。ある一つの量子の位置を測定した時、その量子のエネルギーは確率的に予想できるだけである。ある一つの量子のエネルギーを測定した時、その量子の位置は確率的に予想できるだけである。この解釈は、量子力学という物理学の分野ではほぼ定説となっています。詳しく知りたい方は、朝永振一郎博士の『鏡の中の物理学』(講談社学術文庫31)をお読み下さい。朝永博士は、湯川秀樹博士に続いて、日本で二番目にノーベル物理学賞を受賞しました。私も学生時代に講演を拝聴しましたが、本当にわかりやすくお話なさる方でした。
さて、量子の位置とエネルギーは同時に観測できないという学説に、死ぬまで納得しなかった物理学者がいます。あの有名なアインシュタインです。アインシュタインは確率ということが受け入れがたかったのです。今の物理学が出来損ないだからそんな解釈になるのだと憤慨したようです。そして発したのが「神様はサイコロ遊びなどしない」という有名な言葉です。ある数のサイコロの目が出る確率は6分の1ですから。
シュレディンガーという物理学者もアインシュタインに同調していました。シュレディンガーは放射性物質、放射能を感知したら毒が発生する装置、そして猫を密閉された箱の中に入れるという思考実験を提示しました。放射性元素は不安定で、電子の運動に影響されて放射能を放出します。しかし、いつどこで電子が放射性物質に影響を与えるのかが確率論的にしか決められないとすれば、箱の中の猫は生死が50%の確率で存在していることになる、この猫は「生きていると同時に死んでいる」とでも言うのか、シュレディンガーはそう言いたかったのです。
でも、確率論的な解釈に立つ物理学者たちは動じませんでした。それどころか「その通りです」と答えたのです。これを「重ね合わせの原理」と言います。量子は、複数の状態の重ね合わせとして存在しているというわけです。猫は生と死との重ね合わせで存在している。先程の粒と波の話も同じです。量子は粒子性と波動性の重ね合わせとして存在している。
この「重ね合わせ」という概念が私の想像力に刺さりました。神様の創造した世界の真理を、果して私たち人間が解明し尽くせるのでしょうか。アインシュタインは無神論者だったので、「神様はサイコロ遊びなどしない」という彼の言葉の中の「神」は比喩に過ぎません。そして、神様が賭博師のようなサイコロ遊びなどするはずがないのも確かなことです。しかし、私たち人間は、神が創造した世界の中で、何らかの「重ね合わせ」の状態の生を営んでいるのではないでしょうか。私たち人間の生は確率論的に推移していると言えないでしょうか。
人間は、正しく生きようとしても罪を犯してしまう弱い存在です。時には、罪を犯したと悔やんでいると、結果的にそれが善行であったという事さえある。有罪と無罪の重ね合わせです。罪を犯すまいとして生きるのは当然ですが、何が社会的に善であるのか確定しようとしても、人間の力には限界があるのです。哲学者のカントは、「自分は真理を把握し、常に善行を営んでいると言えるか?」という問いに「はい」と答えられる人間はまずいないと言いました。そして、「いいえ」と答える人間に「あなたは自分が不完全であることを知っている。自分が不完全だと言えるのは、完全が存在することを知っているからだ。すなわち、あなたは神が存在することを知っている。ただし、その完全なる神がどのような存在なのかを、人間が十全に知る術はない」と言いました。いわゆる、カントによる神の存在証明です。
私たち、弱く罪深い人間は、真善美という理想を求めながらも、真と偽、善と悪、美と醜の重ね合わせの状態を生きているのではないでしょうか。そのことに苛立ったり、悲しんだり、まして絶望したりする必要はないと思います。ともかく、神様の愛、神様の導きを信じて生きておれば、たぶん悪い方の確率には行かないと考えるしかない。それが私の楽観的信仰です。シュレディンガーの猫は絶望などしません。猫は「絶望など知らニャい」、うちの愛猫ミイもそう言ってました。知らんけど。
髙橋 介