「お手軽な信仰から骨太の信仰へ」
イザヤ59:9~21
使徒言行録27:1~12
使徒パウロは、ローマに行って福音を宣べ伝えることが「主イエス・キリストが自分に命じられていること」と感じていました。彼は聖霊に導かれ、船でカイザリヤからローマに向かうことになりましたが、そのローマに至る船旅は困難を極めました。
そこに、神の約束に従う努力をするパウロと、そのパウロを実際に神が守るという共同作業の道がありました。パウロは、復活の主イエス・キリストと出会って、悔い改めた時からその道を歩み始めました。彼は自分で努力するだけではなく、同時に神の恵みに依り頼む信仰の中で、守られ、導かれていったのです。
祈ればすぐに願いが叶えられるという「ご利益的」なものが、信仰の世界には確かにあります。しかし、本当に価値あるもの、意味があるものというものは、祈っても直ぐには叶えられないことが多い様に思います。それは神との共同作業を何年も行って、長い忍耐の末にようやく自分の手に入るようなものなのです。
その時に「なぜ、神のみこころなのに、それが叶えられるまで大変なのか」と私たちは思ってしまいます。しかし、大変さを乗り越えて、それが実現したときの喜びというものは、何ものにも代えがたいものがあり、その恵みは簡単に消えることもありません。パウロもそれを信じたからこそ、ローマに到着することができました。
聖書が示す信仰というのはお手軽ではありません。私たちの祈り求めるものは、何年も何年もかかって得られるものです。約束が成就されるまでの期間、私たちは共にいてくださる神を信じ、忍耐することによって、試練を乗り越えることができます。神はそこまでして、私たちを主イエス・キリストの人格に似た者として成長させることを望まれているのです。実に、神のくださる恵みを求める信仰は骨太の信仰と言えるでしょう。
牧師 : 宮本幸男