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「韮山高原の彼岸花」


 彼岸花を、そばの花の中に入れてみた。蒜山では秋になると、真っ白なそばの海に真っ赤な彼岸花がすっくと立ち上がる。その鮮烈な対比を、いつか描きたいと願ってきた。けれども、あの小さなそばの花を広い画面に定着させることを想像するのはとても難しいことだった。構図の見通しが立たぬまま思いだけが膨らみ、何年も手は止まってしまった。

 

 ところが昨秋、そば畑を訪れたとき、誰かに背中を押されるような思いがした。そして描き始めると、画面は次第に応えはじめた。遠景をやわらかくぼかし、中景の花を細密に描き込んでいくと、そこに静かなリズムが生まれた。問題は、正面に据えた彼岸花だった。オイルパステルでは赤が背景に埋もれてしまった。アクリルに替えると、今度はあまりにも容易に形が整ってしまった。その軽さに戸惑いながら何度も描き直した末、やっとぼくは気づいた。絵は絵の具だけで描くのではないのだと。そこに注いだ時間、迷い、塗り重ねた層こそが、画面の深みになるのだ。彼岸花の赤に求めているのは、単なる鮮烈さではなかった。そこへ至るまでに費やした時間の重みだった。主役とは、技術の巧拙ではなく、その時間を引き受ける存在なのだ。急がず、逃げず、向き合い続けること。その積み重ねの先にこそ、あの秋の光はようやく息をしはじめたのだ。

 

 「白い広がりの中に燃える赤を描きたい」という願いから始まったこの一枚は、いま、ようやく形になった。完成と決めること自体も、やはりひとつの覚悟だった。ここで筆を置いた。その判断もまた、作品の一部だった。

(取材地 岡山県真庭市 蒜山高原)

絵・文 田中基信

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